「対話型鑑賞を伝えたい」のではなく、「私はなぜ対話型鑑賞で得られる思考を必要だと思ったのか」を伝えたい。

私はこれまで、企業研修やハラスメント対応を通じて、たくさんの方のお話を伺ってきました。

その中で、何度も耳にしてきた言葉があります。

「普通は、こうするでしょう」
「そんなふうに受け取るとは思わなかった」
「悪気はなかった」
「常識的に考えれば、わかるはず」

話を丁寧に聴いていくと、

誰か一人だけ、片方だけが明らかにおかしい、という単純な話ではない場面に多々出会いました。

それぞれが、自分の経験や立場、価値観の中で、本気で「これが普通だ」と思っているのです。

・同じ出来事を経験(見て聞いて)しているのに、
・見えているものが違う。
・受け取っている意味も違う。

私は、そこに人と人とがすれ違う原因の一つがあるのではないか?と感じるようになりました。

ハラスメントは「人によって受け取り方が違うから仕方がない」で済ませてよい問題ではありません。

相手を傷つけた行為や、不適切な言動については、きちんと振り返り、行動を変える必要があります。

でも、行動を変えるためには、

「なぜ、自分にはそう見えたのか」
「相手には、何が見えていたのか」
「自分の普通を、相手にも当てはめていなかったか」

そこに気づくことが必要なのではないか。

そんなことを考え続けていたとき、私は対話型鑑賞に出会いました。

一つのアート作品を複数の人で観ると、同じ作品なのに、驚くほど違う意見が出てきます。

「悲しそう」
「怒っているように見える」
「何かを決意した表情に感じる」

眉間にしわがある。だけなのにね。

そして、

「どこから、そう思いましたか?」

と問いかけてみる。

すると、自分が見落としていた部分や、自分にはなかった「見方」が見えてきます。

そこで初めて、

「同じものを見ていても、同じように見えているわけではない」

ということを、知識ではなく体験として理解できるのです。

私がアート思考を必要だと思ったのは、新しいアイデアを出すためだけではありません。

・自分の見方を絶対だと思わず、
・すぐに答えを決めつけず、
・相手が見ている世界に関心を向ける。

その力が、人と働くために必要だと思ったからです。

私は、対話型鑑賞やアート思考を流行のビジネス用語として伝えたいのではありません。

なぜ今、私たちにこの力が必要なのか。

ハラスメント対応や人材育成の現場で感じてきたことを、これから少しずつ書いていきたいと思います。

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